『「千と千尋」はなぜ「湯女」なのか』(町山智浩アメリカ日記)という話を偶然見付け、興味深く読ませてもらいました。
『千と千尋』に出てくる「湯屋」というのは、実は娼館だったんですね……。僕は、あの作品を何の疑いもせず、「変な温泉で働かされるの図」だと思ってました。
……でも、よくよく考えてみれば、「湯屋」で働いている先輩も女だったしなぁ。
それよりも、霧雨の興味を引いたのは、むしろここです。
また千と千尋の客が神様(全員男)なのは、古来、神に仕えるものと娼婦は同一視されていたからだ。神社や神殿の巫女は売春もしていた。最も聖なる者と最も下賎なる者は同じと考えられていた。日本に限らず、世界中で神に仕える女性は同時に娼婦でもあった。
神に身を捧げることと、誰にも分け隔てなく我が身を与えることは、同じことだからだ。
タルコフスキーの『サクリファイス』で象徴的に描写されているように、キリスト教以前の社会では、巫女との性行為を通じて人は神と対話した。
また、中世のキリスト教教会は娼館として機能していたこともあった。
民俗社会においては、巫女は、神の妻であり、人間にとっては処女であり(誰の妻でもなく)、、同時に娼婦でもある(誰の妻でもある)。
だから湯女たちは巫女の衣装を着ている。
――つまり我々が巫女さんに萌えるのは、すでに数百年前から魂に刻み込まれていたことなんだよ!!(※キバヤシ風に)
この際ですから、巫女さん萌えな人もそうでない人も、「セクースしたい!」とか卑猥なセリフを言わないで、先人を見習って「やべ、なんか神と対話したくなってきた」とか言ってみてはいかがでしょうか。フィニッシュ時にはもちろん「神キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!」……ってもはやギャグな上に低質なネタだなぁオイ。